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どうしてこうも締め切りってのは重なるもんなんだろう

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なんて思いながら、例年よりはなんだか気温も暖かめの1月の終わり、スマホのメモ画面に向かっています。

文を書く時はペンを持って紙に書くか、スマホがいい。なんだか具合がいい。机に向かうよりもトイレにこもったり、外を歩いてる時がいい。考えたことを直で文に出来る気がするんですよね、まあ気のせいなんでしょうけどね。

何事も気の持ちよう。気のせいが大事。

人生のほとんどを「気のせい」で過ごしてきている中、なんの気のせいかコラムを書くお話を頂き、今この目の前に締め切りは迫っているわけなんです。この締め切りは気のせいではない気がするので気のせいもほどほどにして、なんか書かなくてはとなっております。どうしよう。

語りたいことは無限にあるんですけども。そしたらまず、たまたま今やってる仕事と、たまたまずっと続けている音楽との奇妙な関係についてでも書いてみようかなと。


こんなCDでもかけながら、


映画「男と女」サントラ♪〜


しばしお付き合いを。


僕は普段、仕事で介護士をしています。「重度訪問介護」という介護の仕事の中でも隙間産業的なやつ。いわゆる一般的なイメージの高齢者介護でもなくて、施設へ勤務しに行くわけでもなくて。一般のお宅へ訪問して、障がい者の方の介護をするという、介護従事者の中でもあんまり知られてない種類の仕事です。しんどくてエグいですが、面白いです。楽しい、とも違う、、、なんていうか、インタレスティングです。人間の深みというか、本来の「そうでしかない部分」に触れられる仕事な気がします。たまたま始めてもう10年、この仕事自体が語り尽くせないほどに人間臭くてミステリアスなんですが、どうなのかってそれはまたの機会に。

一方で、音楽の仕事もちらほら。高校でバンドを始め、売れ損ねて20代で力尽き、周りはとっとと音楽をやめ就職してく中、夢を捨てきれずに、、、みたいなお決まりの展開の中、あれでしょうね、そこそこの才能はあったんでしょうね。歌と作詞作曲という形で踏みとどまって。食っていけるわけではないけどお金が出ていくわけではないみたいな。決して売れてるわけではないけど仕事がないわけではないっていう、絶妙なポジションで普段はがんばらせてもらってる状態でございまして。


フルタイムの介護の仕事の隙間時間に音楽をやるという、一般的にはこれを趣味というのだろうけど、ちょっとはお金になる趣味ってのはこれ、なかなかいいでしょってな感じで。


そこで冒頭の締め切りの話になるんですけど。


フルタイムでの仕事の隙間で音楽制作ってことになると、この締め切りが重なるってのが致命傷になってくるんですよね。自分で作って出す分には時間なんて別に気にはしないんですけど。そっちは僕は仕事にならないですから、頼まれる仕事ですね。これがなかなかやっかいで。楽曲制作を仕事で依頼されるってのは音楽野郎冥利に尽きる果てしなく嬉しいことなんですが、こちらの都合のいい時に頼まれることなんてほぼなくて。だいたい普段の仕事が詰まりまくってたり、とんでもねえトラブルの最中だったり。そんなのがほとんどなんですけれども。そうなると、もうどうやっても物理的に無理!みたいな。寝ないで作れば済むならいくらでも、みたいな。迫りくる色んな圧力に、吐きそうになりながらやるんですけども。


これもなんだか不思議なもんでですね、そういう時ほど、なんかこう、漲(みなぎ)ったというか、濃いいぃぃぃ作品になったりってのはこれまた実際のとこだったりするんですよね。面白いです。もう通勤の行き帰りでどれだけ曲作ったかってね。


映画「摩天楼はバラ色に」サントラ♪〜

エニウェイ。

そんな具合で仕事しながら、なんとか音楽を続けてるんですけども。

やり始めてみてわかった、これまた興味深い事実があります。

うちの介護会社のスタッフ、バンドやってる奴ばっかなんです。

これはね、学会に発表しなきゃいけないレベルの人間学の話だと思ってて。ただの類は友を呼ぶということなだけかもしれないんですけど。

重度訪問介護っていう隙間産業、その隙間ゆえのグレーな部分と、社会を脱線気味でアウトローに生きてきたバンドマンの一般的にはクズと称される魂のアウトな部分、なんというか社会という定義で語ると「ちょっと浮いちゃう」部分ていうんですか。これの奇跡のマッチングだと思ってるんです。地球でまだ見つかってない成分を発見したような。アマゾンの奥地をさらに行ったらこんな景色あった!みたいな感覚で、音楽やってる人って介護向いてるじゃん、て。

Win-Winなんてかっこいい関係じゃなくて、あと一歩で沈みそうな状態でどっちかに常に寄っかかりつつ、足も引っ張り合いつつ、仕方ない状態ですがる1番最後の最良の選択肢。

これってね、きっと、人間の芯の部分、玉ねぎとかの皮剥いてってツルッツルになった最後の部分。お互いの剥き身の、剥き出しの、何かが足りなくてその何かを補填するために引き合う何かの成分なんだろうなって。

その何かの成分って、ひょっとしてひょっとするぞ、これ、音楽じゃないかなって。

人々が音楽に求める何かってきっとこの成分で間違いないだろうって。気づいちゃったんですよね。


わかんない、人によってはお金だったり、宗教だったり、Loveだったり、フォースだったりってことかもしれないんですけど。それって同じパワーのことを言ってると思うんです。

そこに気づいて周りを見渡してったら、そんな風に生きてきた自分の周りって、どうやらそんな力を持った人ばっかりだなあって。30過ぎて就職してなくて、やりたいことがあったりなかったり、不器用で、漠然と将来が不安で、でも確実に目の前の一般に溶け込むことも出来ない人々が。

順番に声をかけていったら4人から始まった会社も30人を越える規模になってました。

音楽やってる奴、何かを作る奴って、何かを達成するために何が必要かってのを自覚しててもしてなくても、持ってるんですよね。そこが介護の仕事とフィットしやすいみたいな、そんな所もあるかもしれない。

誘ってったらみっしり、とびっきりのアウトローばっかり30人。もうちょっといるか、30人強。


重度訪問介護の会社で、介護の世界で、こんなことってなかなかないんですよ。スタッフの増え方にこんな謎の勢いあることって。パンクス、メタラー、金髪ピアス普通で、介護。カメラマンもいるし、最近では自転車屋も入ってきたりして。

人種のるつぼ、収集つかない感情、愛し合って反発し合う心と心、これらが渾然一体となって創り出すカオス。これこそが日常であって我々の姿なんだろうなって。

人間てこと事だけじゃなくて宇宙の意思ってことでもいいかもしれない。

アートであって、爆発であって、デヴィッド・ボウイや岡本太郎が言ってることかもしれない。ウディ・アレンでもあるし、あるいはアンディ・ウォーホールかもしれない。落語であったり、あるいはミュージカルなのかもしれない。アジアのスパイスかもしれないし、イタリアのチーズかもしれない。それは、まるでルート66のようでもあるしチャオプラヤ川の支流のようでもあるし。大貫憲章や伊藤政則かもしれない。体が小さくて目の大きな猿かもしれないし、進化に取り残された深海魚かもしれない。日本人のやってるインドのホテルに泊まるのは日本人だけじゃないかもしれないし、あるいは分数のコードであって、捻くれたメロディーかもしれない。最も難解な現代音楽であって、最も分かりやすいJ-POPかもしれない。

思いつく限りの無数の選択を選ぶのか、選ばれるのか。全てさらけ出せたら、穏やかな世界かもしれない。

これは宇宙から見たらどんだけのことで、別に宇宙から見なくてもこんなことじゃない?って、そうでしかないんです、きっと。


音楽×介護


なんか感覚の話になっちゃいましたけど、この組み合わせになんとも言えないパワーを感じて。

最近は自分の音楽とともに今の重度訪問介護の仕事も知ってもらうために、こんな仕事もあるよって発信するために、ライブイベントなんかも催したりしてます。自分の中の感覚を、選択肢を広げるための何かのきっかけになったらなって。

違うと思われるものをそれぞれ突き詰めてくと、なんだ結局一緒だなって、きっとあると思うし、真理だと思うし。

僕はこの考えと活動を「新しい価値観を生み出すために」って言ってます。

どうにも説明がつかない時は「ラブサンクス」とも呼んでます。全部ロッケンローで済ます感覚に近いかもしれない。

でも決して大袈裟ではないだろうって思ってます。

ただ偶然かもしれないですが、音楽と介護に無限の可能性を感じて、今日も。

朝を迎えそうだななんて思ってたらこんな曲が脳内に流れてきました。どこかで、また。


U.K.「Rendez-Vous 6:02」♪〜


ラブサンクス!


ドンボルカン山口

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