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1stアルバム『RAPH-2-HATZ』を発表した日系ブラジル人ラッパーRaeL SiLVa(ラエル・シウバ)インタビュー

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ブラジル生まれ日本育ちの日系ブラジル人ラッパーのRaeL SiLVa(ラエル・シウバ)生まれ持ったリズム感と甘い声にメロウで独特の唯一無二のラップスタイルで2020年に活動開始。 MQTONMP(Mais Que Tudo Ou Nada Music Production,マイス・ケ・トゥドゥ・オウ・ ナダ・ミュージック・プロダクション)を立ち上げた。 楽曲は NEWSを始め多数の楽曲に携わる作編曲家 Red-Tが全曲プロデュース。 遂に待望の1stアルバム(RAPH-2-HATZ)を2021年2月28日リリース。

そんな日本だけにとど まらず、ブラジルを中心に南米でも注目されている存在の RaeL SiLVa(ラエル・シウバ) に 1stアルバム(RAPH-2-HATZ) についてだけでなく、バックグラウンドまで伺ったみた。


ずっとサッカー漬けの生活を送っていた。サッカー選手を目指していた。


本日は RaeL SiLVa(ラエル・シウバ) さんにいろいろと伺えるということでよろしくお願いします。シウバさんとお呼びして大丈夫ですか?
デビュー作品ということなのですが、シウバさんの情報があまりなくて作品についての前に 自己紹介からお聞きしていいでしょうか?

はい、是非お願いします。

では生まれがブラジルで育ちが日本だとお聞きしているのですが、何歳ごろまでブラジルにいられたのでしょうか?

生まれはブラジルのサンパウロの都市パウリニアってところで6歳の時に初めて日本に来まして、東京都の赤羽で8歳まで学校など通ってました。
そして8歳の時に一度ブラジルに帰ってるんですよ。サンパウロは母親の地元なんですけど8歳でブラジルに帰った時は親父のアラゴアス州マセイヨの田舎のほうで10歳まで過ごしまして、また日本に帰ってきました。
その時が小学校5年生の3学期ぐらいで、そこから小中高卒業するまで赤羽でした。

高校卒業してからはどこか移られたんですか?

2009年に高校卒業して、元々サッカーしてたんですよ。ずっとサッカー漬けの生活を送っていたんですが、高校の冬の大会でケガをしてしまったんですよ。
サッカー選手を目指していたんですがケガで夢を諦めざる得ない状態になってしまって。高校卒業して大学行く予定もあったんですけど、それを蹴ってブラジルに帰ってるんですよ。

1年ブラジルで過ごして、2010年に日本に戻ってきて成人を迎えたって感じですね。


音楽との出会いや、音楽活動を始めたキッカケはなんだったんですか?

出会いは2011年とかですかね?
あ、音楽自体はずっと好きで聞いてました。親父がロック好きでNirvanaとか聴いてました。
家に当時はカセットなんですが沢山あって親父が聴いてました。ブラジルのサンバとかも聴いて育ってきて、元々音楽は好きでした。

そして自分で音楽をやるって気持ちが出たのは2012年とかですかね?
独り立ちして2011年の時に群馬のほうにいまして、その時にレゲエバンドのボーカルをやっていた親友がいまして、その人の影響でフリースタイルを始めたのがキッカケですね。

ポルトガル語で皆いつもやってたんですけど。

あ、日系ブラジル人のコミュニティでやられていたってことですか?

そうですそうです。みんな日系ブラジル人です。
そしてブラジルでフリースタイルが流行りだした時期が2011年なんですよ。
それにつられて俺たちも日本でやってたんですよ。
本気で音楽を出すってよりも最初は遊び感覚でしたね。


『Tudo ou Nada』 は「一か八か」って意味で、やるんだったら自分の全てをここにかけようって


今回のデビューにつながる経緯をお伺いしたいのですが。

ずっと港で働いていたんですが、そこで元ラッパーって方がいてまして、
のりさんって方なんですけど、今回のCDの1曲目『Tudo ou Nada』にも「Shot out to my man のり」って入れてるんですけど。笑
その人が元々ラッパーっていうのを聞いて、そしてのりさんとビデオ撮ったりして遊んでたんです。
それをたまたま地元の幼馴染に送ったんですよ。その幼馴染がRed-Tさんと付き合いがあって「もし本気で音楽やるんだったら紹介してあげるよ」って。

なるほど。そうだったんですね!

そうなんですよ。
今まで積み重ねてきたものがあって、一時期諦めかけた時もあったんですが、その時にのりさんとの出会いがあってまた音楽に…。

それまでポルトガル語だったんですけど、日本語で真剣に(音楽を)考えて「やってみよう!」ってなって、Red-Tさんに会わせていただいて。
そして「じゃあレコーディングしてみよっか」言われて、1曲目の『Tudo ou Nada』が生まれました。
去年の2020年9月ですねレコーディングが始まったのは。7月にビデオを撮って友達に送って、9月にRed-Tさんを紹介してもらって9月の中旬には初のレコーディングでしたね。

レコーディングまでの流れは早かったんですね!

そうなんですよ!
9月にレコーディング始めて、地元のクルーのMQTONMP( Mais Que Tudo Ou Nada Music Production マイス・ケ・トゥドゥ・オウ・ナダ・ミュージック・プロダクション)を自分たちで立ち上げて、12月までに11曲を録りました。淡々と続きました。

なるほどそういった経緯があったんですね。
先ほどの話からすると、この作品の1曲目の『Tudo ou Nada』を主軸に作っていったということなんでしょうか?

最初いろんなビートを、Red-Tさんから5曲ほど送ってもらいまして。
その中からこの『Tudo ou Nada』になるビートが自分の中から燃え上がる思いになって。
その時にのりさんとの出会いやRed-Tさんとの出会いがあって俺はコレにかけるんだって思いでとりかかりました。

『Tudo ou Nada』って日本語で「一か八か」なんですよ。
「一か八か」って意味で、やるんだったら自分の全てをここにかけようって思いでとりかかりました。

なるほどそういう意味があったんですね!
アルバム全体のジャンルといいますか、コンセプトはこの曲で決まったんでしょうか?
それとも方向性みたいなものは最初にあったのか、作品を作りながら決まっていったんでしょうか?

作りながらですね。
1曲1曲聴いてフィーリングが込みあがってくる思いで作りました。
このアルバムはバリエーションが豊富で1曲1曲みんな違うリズムがあって。
なんていうかヒップホップラップっていうのはあるんですけど、メロウな感じがあったり、トロピカルハウスな感じがあったり、地元をレペゼンする曲も入ってるんですけど、この曲もオールドスクールな感じだったりでバリエーション豊富なアルバムになってるんで、ジャンルってジャンルはまだ決まってないです。
色とりどりの曲が入ってます。


RaeL SiLVa 『RAPH-2-HATZ』 Album Traular


自然とラップをする意識の中でもメロウになるというか。自分の性質がすごく出ている


『Tudo ou Nada』

なるほど。
では各曲ごとの解説をお伺いしたいのですが。
1曲目『Tudo ou Nada』についてはすでに詳しくお話をお伺いできたのですが、この曲はアコースティックギターすごく印象的で、ラップ作品と聞いていたので良い意味で裏切られたと言いますか、すごくお洒落でカッコイイですよね。

2011年の(音楽友達との)出会いから、みんなギターとか弾いてセッションしたりするなかで、アコースティックギターの音がすごい好きで自然とラップをする意識の中でもメロウになるというか。自分の性質がすごく出ている1曲となっていますね
ガチガチのラップに拘らずメロディにそってラップをする感じですね。

『Jelly』

2曲目『Jelly』はすごくノスタルジーを感じるというか、これもラップ作品としては珍しい世界感だなと感じました。こちらの作品の背景などお伺いしたいです。

この曲はですね。好きな女性に捧げるというか、好きな女性を思いながら作った曲ですね。
歌詞にもある「手と手を繋いで、目と目を合わせて俺を信じて」っていう言葉があったりで、互いの気持ちを確かめ合うってイメージがありますね。
で、「Candle lightに照らされて」っていうのが色々あって別れちゃったんですけど、女性と出会った時の印象がキャンドルライトに包まれてお互いを確かめ合って、でも朝起きたら隣にはいなくてっていう感じで、まぁそのまんまなのですけど。

これはシウバさんの実体験をもとにって事ですか?

そうですね。
実体験をもとに書いた曲ですね。夢の中にいるような現実で起きているような印象を与えたくて、「夏の香りの誘惑に誘われて」っていう感じで。
ちょうどこの曲を書いた時が夏の時でしたね。9月ごろで。

3曲目の『Dreamer』ですが、歌詞が結構ポルトガル語が入っていますね。

1stバースは日本語ですね。
レコーディング1曲1曲に対してフィーリングを大事にしてまして。
この曲はポルトガル語を混ぜるというよりは、(日本語とポルトガル語を)別々にして録りたいなってのがありまして。
レコーディングの時も日本語のバースだけ考えて行ったんですよ。
で、Red-Tと相談して「2ndバースは1stバースをそのままポルトガル語に訳して歌いたいです」って伝えて、その場でポルトガル語に訳して音にはめた感じです。

そうなんですね。
このポルトガル語がめちゃくちゃ曲にハマっているし、英語ともまた違う洋楽のカッコ良さといいますか、新鮮さを感じました。
2曲目の『Jelly』とは違った切なさと言いますか強さを感じたので(ポルトガル語の)歌詞を理解できなかったので、どういった内容なのかも教えていただきたいです。

そうですね。
この曲は自分のことを自分が一番知らなきゃしけないなって思って。
自分が自分を一番知っているって意味で歌詞にもあるように、生活の中で生きているメロディーを聴いて悲しい思いも癒してくれたり、好きな曲を聴いて楽しくなったり、時にはロックを聴いてワーっと騒いだりして、口ずさんだらその曲の世界観に入るというか。
この曲のビートを聴いた時にブラックホールの様に吸い込まれたように感じたんですよね。
この世界観から抜け出せないし、でも迷ってても何も始まらないし、一歩先には進めないので自力で脱出するイメージを膨らませて。

歌詞にもある「夢を描いて追いかけた…失敗しても、する、回り道、壁を超えたら追い風、吹かれながら向かう南の方角へ」っていう感じで今までの実体験の失敗をプラスに変えるようにしました。
サビも思いが詰まってるんですけど、まさに今の自分に起きている事をサビにする事で思いが伝わると思って。リアリティを出したくて素直にそのままを歌詞にしました。

最後のところでメロディになるじゃないですか?「今でもあの日話した夢の続きを、今でもあの時の夢を追い続けるよ」って夢を諦めなければいつかは叶うって伝えたくてこの曲は出来ました。

『Shake it』

次の『Shake it』がまた雰囲気が変わって民謡的な感じが印象的ですね。
これはブラジル民謡とは別なんですか?

違いますね。
これはRed-Tさんの要望でこのレゲトンは似合うからやってみようって。

すごく気持ちのいいノリですよね。気持ちが上がるっていうよりも心地よいっていう感じの。

そうですね。
この曲はレゲトンっていったら自分の印象ですけどセクシーな女性が踊ってその曲を盛り上げるって感じで、だからタイトルも『Shake It』なんですけど。
サビの部分の”俺と一緒に友達もさそって踊ろう”って意味で、女性がメインで踊っていて男たちが誘われているイメージで作りました。

『Follow Me』

次の『Follow Me』は自分についてこいって意味で、自分自身の事を歌ったというかシウバさんの顔になるような曲なのかな?って印象を受けたのですが、実際のところはどうなんでしょうか?笑

この曲を録った時が10月入ったころの時で自分の思いに変化が現れた時で。
出だしの「今日も晴れ渡る空の下How I Gone too far」ってあるんですけど、自分がどこまで遠くまでいけるのか?ってイメージがある曲なんです。

自分が生きてると感じている瞬間などを考えさせられる事があって、これもリアリティを出したくて始めたからにはもう後には戻れないし命が尽きるまでは音楽を続けたいなって思いで作りました。
その時にやっていた港の仕事は自由時間があまり無いんですよ。夜中の3時には家を出て5時半には会社着いて仕事始まって夜21時まで働いて家に着くのは23時ってルーティンの毎日を3年間続けてきて「3 6 6 、24,7 眠らずにゲドる、plus one day わかるかね?」ってあるんですけど家に帰って23時から3時の間で自分に何ができるのか?って考えた時にこの曲が生まれたんですよね。
ありのままの事を綴ったような曲です。


「死ぬまで働け」そういうのって冗談では通じない。それを歌詞にすることで共感を得られることもあるのかな?って


『BAD』

『BAD』社会風刺ともとれる曲ですけども、シウバさんにとって何を問題定義しているのかなどお伺いしたいです。

この曲は、正に港の仕事をやめるキッカケがあった日に作った曲なんですよね。
もともとRed-Tさんとレコーディングする日が決まってて朝早くから仕事いって会社の上の人と揉めたんですよね。指示を出す出さない、指示を待つ待たないみたいな話があって、そこで向こうが凄く矛盾するような事を言ってきたので「そういうことを言うなら俺はやっていけないです」って言って帰ってきたその日にこの曲を書いたんですよね。

今まで何度も「改善する改善する」って言われて改善できなくて、不満をぶつけても右から左へ流されて、何も変わらないまま毎日を繰り返して。冗談で「死ぬまで働け」とか言われたりして。そういうのって冗談では通じないって感じたんですよね。
それを歌詞にすることで共感を得られることもあるのかな?って思って、サビではエモい感じ作りましょうってアイディアも出てきて、その生活から自由になりたくて。

レコーディングが始まって1か月ぐらい過ぎて自分の思いに変化が出てきて、音楽と向き合う姿勢も今までと180度変わって物事を見る目も変化が出てきて、そこで「偽りなく今の時代を生きていく」って。自分のスタンスを音楽を毎日やって、自分の好きなことをやって楽しめる人生をおくりたいって。もちろん仕事も大事なんですけど、仕事してて居心地よくなくてストレスになって人間性が崩れるっていうか、自分が自分じゃなくなるのが怖いって思って。ここで本当の自分を取り戻さないと一生壊れてしまうっていうか、取り返しのつかない事になってしまう思いがありましたね。

社会的な問題定義もあるけれど、それは自分にとっても悪いものとかかっている曲なんですね?

そうですね。社会風刺というか、今まで色んな会社を点々と働いてきたんですけど、やっぱりどこも会社の風潮があって上が下を見下すってのが必ずあって。そういった経験もいれた曲ですね。


レペゼンするにはラップしかない


『By My Side』

次の『By My Side』はまた異色というか、このアルバムである意味一番メロウでポップでロックな曲の印象を受けました。ただ、この曲までの流れを通してこの曲を聴いたときにコレも一つのラップのスタイルでもあるんだなと受け入れられる感じがありました。

この曲はいい日も悪い日もありますけど、悪い日や嫌なことがあった日こそアゲなきゃなって思いで作った曲ですね。

レコーディングした日に書いた曲なんですけど、この時は土砂降りの雨の日で曲を聴いてこのまま雨につられてバッドなままだと楽しくないなってあって。
思いを歌にのせて気分をアゲようってイメージをまず持って始めたんですよね。

4曲目を録り終えたぐらいの時にRed-Tさんから「10曲やりましょう」って話があって、この曲を録る頃にはもう半分以上は超えたんだなって思いが出てきて「Today is the best day of my life」って出だしが出来たんですよね。
その時には好きな女性が隣にいたんですけど、お互い悲しませたり後悔させたりもないし一生一緒にいたいなって思いで、音楽にも音楽の女神みたいな思いで好きな女性っていうより音楽の女神に向けて一生一緒にいたいんだ君とっていう、このフィーリングを与えてくれた君にこの曲を捧げるって思いで作りました。

この曲のスタイルってどのように作っていったのでしょうか?今までの曲と違って凄くロックというかポップなメロウな部分もあったりとするじゃないですか?

聴いた瞬間に親父の影響があって、親父がロックが好きで小さいころから一緒に聴いてきたので。それで自分のスタイルでロックを歌ってみたいなって思いで、力強く自分の思いを呼び寄せる感じで歌うっていうか1曲目の『Tudo ou Nada』と曲調は少し似てるんですけど、こちらはロックとラップで韻を踏みながら作りました。

『Akabane』

次の『Akabane』がラップらしいラップというか、ヒップホップといわれてイメージしやすいのかなと思いました。そして赤羽が地元だと先ほど伺ったんですけどもその辺の事も聞きたいなと思ったんですが。

この曲を聞いた瞬間に「地元をレペゼンしたいなってな」って。そして地元をレペゼンするにはラップしかないなって。オールドスクールっぽい感じを今風にRed-Tさんがしてくれて、これしかないなってなりましたね。

自分には2つ下の弟がいるんですけど、お互い昔は悪くて色々トラブった事もあったんです。「The pain stop, same spots, same brothers spray shots, everyday Doing the same thing」って皆どこかしら赤羽で集まってワチャワチャしてたんですよ。本当に過去の思い出と今の自分の経験を綴った感じでうまく地元をレペゼン出来たんじゃないかと思います。

『Tonight』

次の『Tonight』なんですけども、『By My Side』~『Akabane』~『Tonight』の流れがめちゃくちゃ好きです。特にこの流れでの『Tonight』の冒頭のイントロで心奪われちゃいました。笑
そしてこのポップさやメロディライン、ラップのバランスが凄く素敵だなって思ったんですが、この曲の拘りなどお伺いしたいです。

この曲は本当に始まりが好きでメロディックな感じで歌いたいってのもあって、早口で歌うよりも自分の持った性質をより出したいなってありました。
そしてこの曲と『Akabane』は同じに録ったんですよ。
『Akabane』をレコーディングしてから『Tonight』に切り替わってレコーディングして、最初は影響があったのか早かったんですよ歌い方のリズムが。

気持ちを落ち着かせて切り替えて、コロナ禍で皆もやりたいことがあっても出来ないって状況におかれていたと思うんですよ。「ある日突然悲しんだなら、このmelodyで癒してあげるから」って思いもあって、嫌なことがあった時にそればかり考えてないで皆でアゲていこうって、良いこともあるんだからポジティブに皆でもっていこうて思いでこの曲に取り掛かりました。

『Bombay』

次がラストソング『Bombay』ですけども、またここにきて全然今までと違う無国籍感というかブラジルを感じる分けでもなく、日本を感じさせる分けでもなく、かといってアメリカなどを感じさせる分けでもない無国籍のカッコ良さを感じました。
これはどのように作られたんでしょうか?

この曲は聴いた瞬間にバスの効きが良いというか心臓の音を振るい立たせるカッコよさがあるなって。
『Bombay』っていうお酒があってBombay Sapphire(ボンベイ・サファイア)ってジンなんですけど、何時も持ってるんですけどこれが凄い好きでめちゃくちゃ飲んでたんですよ仲間と集まって。
そしてこの曲とこれ(Bombay Sapphire)をうまく融合させたいなって気持ちがあって。

曲調がめちゃくちゃ盛り上がるので、皆が何処にいても踊れる、クラブで流れてもおかしくない、皆で盛り上がって酒飲めたらなって思いがあってこの曲を書きました。

サビのところで戸惑っていたんですけど、Red-Tさんから「シンプルなフレーズでサビになるからそれでいけると思うよ」って言葉があって、サビのポルトガル語は日本の「好き嫌い好き嫌い…」っていう花占いのような感じの、「好き?嫌い?飲めボンベイ、飲む?飲まない?飲めボンベイ」って一口飲みなよってボンベイを強調して作りました。本当にシンプルな感じでうまくハマりましたね。


「3年以内にアリーナでライブをします」とここでリスナーさんに伝えたい


なるほど面白いですね!解説ありがとうございました。

何か他にお伝えしたいことがあれば教えていただきたいのですが、またはリスナーの方へのメッセージなどあればお願いします。

そうですね。最初自分が去年7月にレコーディングとビデオ録って、「年内に3曲出す」って意思表明したんです。その時にリスナーから「その中そんな甘くない」って言ってくる人もいたんですけど、俺たちMQTONMPクルーは本気で音楽をヒップホップもラップも命がけでやってきて、まだまだ一歩目を踏み出したばかりですけど必ずこの先を長く見て「3年以内にアリーナでライブをします」とここでリスナーさんに伝えたいと思います。

2023年までにアリーナでライブしますのでそれまで俺についてきてください。

コロナ禍の影響でライブスタイルが変わったり、目の前でライブする機会が少なくなるかもしれないですけど、それでも立ち止まらず皆が男女問わず聴いて楽しめる。俺たちしか出来ない音楽を作って皆さんに届けていきたいなって思います。このアルバムもですけど次のプロジェクトも進んでいますので楽しみにしていてほしいです。


音楽に命を懸ける思いで取り組み、そして有言実行をしていくカッコよさ。ヒップホップやロックやポップなどジャンルに囚われないスタイル。正にこれから注目されるべき新しいスタイルから目が外せない。

1曲目の『Tudo ou Nada』のMusic Videoもアルバムリリースと同時に公開されています。


RaeL SiLVa関連情報

RaeL SiLVa楽曲の試聴や購入はこちら
https://linkco.re/QgD9TNf0

Instagram
https://www.instagram.com/rael_2_silva

YouTube
https://youtube.com/channel/UC8lxHNFVEiE03h8smjyODfA



また、今回の作品を作曲プロデュースしたRed-Tへのインタビューも過去に行っているので是非合わせて見ていただきたい。


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