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世界に追いつけない日本の音楽市場と壮大なアジアのマーケット

yuxxo

日本の音楽市場とアジアの音楽市場


日本とアジアの音楽市場は何が違うのだろうか?

音楽はここ数年で飽和状態にある。それは、なぜだろうか?

これほどに音楽を愛している人々がいるにも関わらず、音楽産業は発展しないのである。

それは、日本とアジアの音楽市場の構造とも言える。

そもそも日本は、国内に向けたプロモーションが多く、海外を視野に入れていないものが多数である。そのため、国内だけのマーケットでの競合となり、またビジネスの流れも一定で決まっており、なかなか外に抜け出すのが難しい。

それは一種の壁となっていて、海外と国内のアーティストを比較しても、その違いにショックを受けてしまう。


音楽ストリーミング配信サービスの参入


その他を理由にあげてみると、ここ数年で音楽のCDやDVDが、デジタル配信となったのも要因の1つ。ストリーミング配信サービスである、Spotify、Apple Music、Google Play Music、Amazon Musicなどが、音楽産業に新たな風を吹かせた。

このことがきっかけで、CDやDVDが以前よりも売れなくなった。それにも関わらずCDやDVDという販売方式から抜け出せない日本。そして、IT業界が急激に発展しており、音楽のストリーミングサービスや配信サービスなどを、すぐに取り入れていく体制のアジア。


ITやスマートフォンも高スペックで強い中国


変化にすぐ対応できる中国を中心としたアジアは、とても強い。スマートフォンの参入もやはり中国や韓国などのアジアの方が、日本より導入が早かった。NTTドコモやソフトバンクなどでも早い段階で導入されたサムスンやファーウェイがいい例である。

プロモーションやデザインなどからするとiPhoneは強いが、アジアのメーカーであるサムスンやファーウェイの製品は高スペックで人気もある。


今後の日本の音楽業界はどうなるのか?


日本も遅れをとってはいけないと、様々なストリーミングやITを使った音楽サービスを取り入れてはいるが、アジアの速度が速すぎて、ビジネスの変化についていけてないのが現状。

だが、諦めるのはまだ早い。誰をターゲットにするかで、音楽ビジネスというのは大きく変わってくるのである。例えば、アジアから日本にやってきた留学生などは、日本のバンドやアニメ、または数年前に流行った歌謡曲などを好んでいる人も多い。

そのような相手に対してビジネスをするのであれば、お土産に持って帰れるようなCDやDVD、グッズなどはとても喜ばれる。

今後、日本が音楽市場で生き残るには、アジアから日本にやってくる留学生や旅行客に、日本らしい音楽や文化を届けるということが大切なのかも知れない。

人と合わせることが得意な日本人。それは日本人の美徳ではあるが、大きなアジアのマーケットや音楽ビジネスの勢いに飲み込まれないように厳重な注意をしなければならない。

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【Music and Business Vol.3】
『Nostal-Asia』リマスター発表、New Music Video制作、そしてバンドLIVE開催 音楽家”宝生久弥”

United Code
3回目となる今回は、 東京ミレナリオ『Snow Mail』や愛・地球博 2005『地球回廊』など数々のパビリオンの会場音楽 から100万人のキャンドルナイトのwebサイト 『candlescape』のアンビエントBGMなど幅広く作曲、音 楽プロデュースを行う 電子音楽家 “宝生久弥” さんにインタビュー。
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ENHANCE JPが伝えたい情報の一つ、音楽への携わり方の多様化。

この「Music&Business」では音楽に関わる仕事、事業をされている人物へ突撃インタビューします。

音楽に携わった仕事がしたい方はもちろん、どんな仕事がしたいかはまだわからないけれど、音楽が大好きな方へ。

見えづらいだけで、たくさんの人、媒体、仕事が関わりあって成り立っている、進化している音楽事業を紹介することで、あなたと音楽の可能性を広げます。

3回目となる今回は、 東京ミレナリオ『Snow Mail』や愛・地球博 2005『地球回廊』など数々のパビリオンの会場音楽 から100万人のキャンドルナイトのwebサイト 『candlescape』のアンビエントBGMなど幅広く作曲、音 楽プロデュースを行う 電子音楽家 “宝生久弥” さんにインタビュー。

2014年にリリースされた3rdアルバム”Nostal-Asia“のリマスターを2020年6月に発表。当時のマルチデータからミックスしなおされたオリジナルとは音質もアプローチも進化し深化したニューアルバムのような作品を中心に “宝生久弥” の音楽のルーツから今後の活動について迫ります。

stylist : Daisuke Takamura
photographer : Kuriko Tsuchiya


「音」自体を出す難しさ、それを探求したく思った。

宝生さんの音楽のルーツから今後の音楽ビジョンまでお伺いした医と思っております。よろしくお願いします。

はい、ぜひよろしくお願いします。

さっそくですが、音楽を始められたキッカケは何で、何時頃からなのでしょうか?

始めたキッカケの方は、中学時代になんとなしにギター買ってみたり、ミキサー買ってみたりして一人で初めてたんですけど、ピアノを習っていたとか、家族が音楽一家という訳でもなく親が音楽のプロとかでもないので、全然譜面とかも分からず何も分からなかったんです。
高校生になる時に高校の方でバンドを組みたいと思って、音楽の知識は全然なかったので、とりあえず譜面読める様になりたいなと思って吹奏楽部に入ったのが最初だっと思いますね。

最初はギターからだったんですか?

最初はギターだったんですけど、買ったはいいけど「ちゃら~ん」としか鳴らないじゃないですか?(笑)
ディストーションじゃないし(笑)

エレキギターだったんですね。(笑)

エレキギターを買ったんですけど。全然弾けないし、思ってた音が出ないし、先ずエフェクターって存在を分かんなかったですね。(笑)
音も出ないし「なんか思ってたのと違うぞ?」とその時に音自体を出す事は難しいんだと思ったんですよ。それでもうちょっと探求していきたいなと思って。
それで習わないとダメだと思って、なんか人からてっとりばやく教われるのが吹奏楽部なのかなって高1の時にそう思って始めました。



コンテスト優勝、ラジオレギュラー、絶対音楽でプロになりたいなって思いました。

当時、宝生さんが聴いていた音楽ってどういったのだったのですか?

小学校の頃はチャゲアス( CHAGE and ASKA )と TM NETWORK しか聴いてなかったです。(笑)
中学校に入って徐々にロックとかXとかLUNA SEAとか皆聴いてたんで、遡って BOØWY とか聴いたりするようになって。
全然洋楽だったりとか、今は電子音楽のレーベルやってますけど全然ちゃんとした電子音楽、テクノとか聴いた事なかったですね。 TM NETWORK と小室ファミリーぐらいですね、世代的に凄い流行っていましたので。(笑)

バンドを聴くようになってギターを買われた?

そうなんですよ。でなんか中学ぐらいの時になると徐々に音楽始めたり楽器出来る子が出てきてたので。「このバンドは弾きやすい」とか音楽雑誌に書かれたりしてるのを見て、それで「この曲は簡単」とか「これはわりと弾きやすい」とかいろいろ聞いて(ギターを)始めようと思ったんですけど、その人達が簡単だって言ってるのでも弾けなかったんですよね。(笑)
その時に「ギターなのかな?」って思うようになって。
更にパーカッションをやってたんですけど、もっと視野を広げていきたいなってなった時にシーケンサーとかシンセサイザーと出会った感じですね。

音楽と出会われて、何時プロでやっていこうと思われたんでしょうか?

思ったのは…
ぼく岩手出身なんですけど、今って岩手ってクラブチェンジ( CLUB CHANGE GROUP)ってところがチェーン店で何件もライブハウスを経営とかしてたりするんですけど。
当時90年代後半とかってライブハウスが無かったんですよ。
それで吹奏楽の仲間と部活だけだと面白くないんで、自分たちのコピーバンドを作ろうってバンドを組んだ時にバンドのライブって絶対したいじゃないですか。

その時にライブをする場所が岩手県になかったんですよ。
それで唯一あったのがYAMAHAさんとかがやってるコンテストで、そうすると所謂プロの方が使ってるホールとかでカセット審査などのオーディションを通るとコンサート審査ですって無観客じゃなくて、お客さんをいれたところでやれるから皆出たくて「ティーンズミュージックフェスティバル」だったり、当時だと色んな(コンテスト)のがあったんですよ。

で、とにかくオーディションに出たいって出てた時に、審査員の方が良かれと思ってなのか分かんないんですけど、褒めてくれたんですよ。
大人になると褒められても若干「って言うでも」とか思っちゃう時とかあるんですけど(笑)
当時10代の頃は凄く嬉しいから、16歳の時にオーディションに出て凄い褒められたから「コレ(プロで)俺やれるんじゃないかな」って勘違いしてヤル気になってプロになりたいなって思ったのが最初ですね。目指しだしたのは。

16歳でプロを目指し始めたということなんですね。

そうですね。初ライブが高1の時なので。5月か6月ぐらいだったと思います。

その時はコピーバンドだったのですか?

初ライブだったんですけども、オリジナルでやりました。

初ライブでオリジナルってすごいですね!

オリジナルだったんですけども自分たちは音楽始めて2か月ぐらいだったので、ちゃんとした曲が作れなくて。
今みたいに凄い機材とかもなくて、サンプリングが自動で配列していくとかそういう物が当時はなかったので(笑)
全然最初は、ぼくが作曲した曲でバンドメンバーに提出して「コレをやろう」って言ったんですけど、そのうち2人先輩がいたんですけど同級生の3人は練習してくれたんですけど先輩の2人が「この曲ではダメだ」と(笑)
で、別の曲で「コレでやるぞ」って(笑)
ぼくが作った曲が難しいというかやり辛い曲だったんで、簡単な曲というか皆で合わせやすい曲で「こっちでやろう」ってなりました。
で、最初からオリジナル曲でやったのが最初ですね。

でもその頃からもう作曲をされていたんですね。

一応そうですね。ただ全然なんか作曲自体が上手に出来てた訳じゃなかったんで、多分その時はファーストライブでは別の人が曲を作ったんですけど。

音楽理論などは独学だったんですか?

独学だったんです当時は。で、一応吹奏楽部の2個上の先輩たちは譜面も書けるし皆に譜面も配ってくれたんですけど、ぼくはまだ(音楽)始めて2か月だから(譜面)書けなくてテープに録音した自分の歌としょぼいギターで皆に「コレ覚えてやって」って言ったんですけど先輩は「譜面はないの?」とか、これじゃやれないとか(笑)

高校卒業してからはどういった活動になっていったんですか?

高校の途中でシーケンサーとシンセサイザーを買って、その時にはもう譜面も読めるようにもなっていたので打ち込みとかして、これでヒット曲と似た音色を使って、「自分もこうやって打ち込めば作れるんだ」って思った時に作曲が面白くなってきて、コピーで打ち込んだ曲に対して違うメロディを…所謂、違うメロを自分でアドリブでその曲に当てていったりして、コード進行はヒット曲と一緒だけどメロは違うを打ったりし始めた時にシンセやってる友達がもう一人いてシンセサイザーとボーカルで二人組でユニットにしたんですよ。バンドじゃなくて。
それで 「ティーンズミュージックフェスティバル」 ってのに出た時に地区大会で優勝してまた嬉しくなったりしたんですけど、その時に地元のコミュティ放送方で「若い男の子達にコーナーを持たせたいと思ってるからやらないか?」って言ってもらったりして、高校在学中に半年間ぐらいレギュラーでラジオ出させてもらったりして。

ラジオってすごいですね!

高校生だから凄い嬉しいし、今みたいにYouTubeとかある時代じゃないからコミュニティ放送でもラジオの力が今より凄く大きかったので、同じクラスの人や部活の人も「ラジオ聴いたよ」って言ってくれたりしてて、有頂天になったりしてて絶対音楽でプロになりたいなって思いましたね。

 

自分のやりたい事を全部出来るのかな?って思って東京に出た。

stylist : Daisuke Takamura
photographer : Kuriko Tsuchiya


それからプロになったキッカケは何だったんですか?

ちゃんとプロみたいにお金をもらったり、クレジットに名前が載ったりしだしたのは、それからもうちょっと後で23歳ぐらいの時だったんですけど。
一緒にアートプロジェクトみたいな、今で言うとデジタルアートを一緒に作ってる仲間が岩手の放送局でバイトしてたんですよ。
その人が映像制作も出来る人だったので地方番組のオープニングの映像とかも作ってたりしてて、まだその当時は友達は大学生とかでぼくはフリーターだったんですけど、その友達から「映像に音を付けたいんだけど既存のものだと面白くないしチャレンジングじゃなないから、チャレンジングな事をしたいから音楽を作ってくれ」って言われて作ったんですけど。
作ったものが採用になって地方局なんですけど岩手で流れて音楽宝条久弥って名前出してもらった時に「これで俺もプロって言って良いのかな?」って思って(笑)
それが最初ですね。

では、プロ活動は地元からなんですね。

そうですね、最初は地元ですね。
放送局の頼まれた音楽を作るって感じだったんですけど、そしたら一番仲のいい映像作家でデジタルアーティストみたいな人が東京のクリエイターからスカウトされて東京に出たんですよ。
岩手も大好きで年1で帰ってるんですけど、岩手にいても自分のやりたい事を全部出来るのかな?って思って。
東京に出た仲間はもっとやりたい事があるしビジョンがあって東京に出てったから、ぼくも東京に出ていこうと思って。その人を真似た感じに近いんですけど、身近な仲間がやってるって事で感化されてぼくも出た感じでしたね。

それが23歳の時ですか?

そうですね、23歳ですね。

東京に出てからの活動とは?

そこからはとにかく音楽仲間がほしかったので色んなライブハウス行ってみたりとか、友達自体がデジタルアートがしたいって東京に出てたのでその友達と飲んだりしながら「今度こんな作品があるから音楽作ってよ」って言われたりしてそこに提供させてもらったりしつつ、作曲自体は大好きで今でもそれをメインでやりたいんですけど、若い時は更にラッパーにオケを作りたいとかバンドとコラボしてみたいとか自分の生演奏のバンドを復活させたいとか沢山ビジョンがあったので、作曲っていう一種類の活動だけよりもっとチャレンジングに動きたいと思ってたので作曲のお仕事させてもらいつつ色んな所に遊びに行ってましたね。

自分の作品を作りたいというよりも提供とかコラボなどがしたかったってことですか?

当時は企業さんとかのものに音楽をあてれる事が凄いぼくはプロだと思える様になったので、その時期は楽しくて沢山携わらせてもらったんですけど。
徐々にアルバム出してる友達とかレコード契約がある方のプロというかCDリリースしている同年代の仲間とか話を聞かせてもらっていると、色んな事に携わらせていただいて嬉しい反面、自分の名前の付いたものも出したいなって徐々に思ったりして。
その辺りですかね、せっかく持ってきてもらった案件を断ったりして「俺はこういう音楽をやりたい」ってなってったりした時期もありましたね。

それで1stアルバムを出されたのは2011年ですよね?

そうなんですよ。東京に出たのが20代前半で、一応企業案件などを20代の頃は色々やらせてもらってたんですけど、自分で作曲したのを作品化するっていうビジョンを持つのがなかなか遅かったので。
30歳とか31歳の時に1stアルバムをまとめてみようって思って出した感じでしたね。

それは1stアルバムに向けて新たに作曲されたのか、今まで作ってきた曲をまとめたのか、どちらだったんでしょうか?

1stアルバム用に新たに作りました。

1stアルバムの音楽制作の流れとはどういったものだったんでしょうか?

1stアルバムは、その前の年にアルバムに入ってる曲なんですけど沖縄のラッパーでカクマクシャカ君っていて、 Shing02さんってラッパーの方がいて、その周りのって言うか何というか文系ラップみたいな、ゴリゴリなイカつめのラップではなくて文学的なラップをしている人たちがわりとボクの周りにいて。
その中で カクマクシャカ君 って人と仲良くなって「きみいろ」って曲を2010年に出したんですよ。作り始めたのは2009年とかだったと思うんですけど。
それ完成した時に当時出始めたYouTubeにMV作ったりとかして、再生数も凄い有名な人と比べると少ないんですけどボクが出してるMVの中では1番再生数出てるのが カクマクシャカ と作った『きみいろ』って曲でなんですけど。
それを出した時に、これはアルバムにしたいなって思って、その時はシングルだったんですけど、その「きみいろ」を起点に10曲ぐらいになって起承転結になってる様な楽曲があったら面白いなって思って、そこから新たに作曲をしたりして、また既存の曲もそのコンセプトに合いそうなものを作り直したりアレンメントし直したりして、全部レコーディングし直して違和感ない様にして色々やって1年ぐらいかけて2011年にアルバムにしたって感じですね。



今なら若いアーティストが2ndで全く違う事をやりたいって言ったら俺は反対するだろうな(笑)

なるほど。そこから2ndまでの間はどういった活動を?

1st出した時に結構自分で演奏できないパートをミュージシャンの仲間に頼んだんですよ。プロのパーカッショニストの人とかギタリストの方に頼んだりとかして音をどんどん足していった感じで、アルバムに合わせて生演奏に差し替えたりしていったんですけど、その差し替える作業をしてた時のメンバーはほぼ皆同世代だったのでもりあがって「じゃあライブもしようよ」ってなって2ndまでの間はそのメンバーでライブをしてましたね。

2ndアルバムは『AMBIENT I 』ってタイトルですけど、こういったアンビエントとかエレクトロにハマったキッカケというか追及したり自分に合ってるなと思ったのはいきさつをお聞きしたいのですが。

アンビエント自体は企業案件を20代の頃に沢山やらせてもらった時に殆どアンビエントだったんですよ。
会場音楽とか企業ブースBGMとか作らせてもらった時にビートあるものとアンビエントと2種類担当の人に提出した時に使ってもらえるのが結構アンビエントが多くて。

雰囲気に拘ったって事なんですかね?

ん~、、、どうなんでしょうね?(笑)
当時はそれがバチっとハマった様な感じだったんですよ。
で、ぼくも全然アンビエント凄い聴いてた訳じゃなかったんですけど、周りの担当の方だったりとか色んな人がブラインアンイーノ(Brian Eno)聴いてたりとか所謂アンビエントですよね。
そういうの聞いて「あ、じゃあぼくも聴かないと」って思って勉強するような気持で聴き始めたら、肌になじんでそこからハマりました。

それからめちゃくちゃ聴きまくったりして、1stの時はラッパーの友達がアルバムを作ってみたいと思うキッカケだったので、わりと当時流行ってたピアノヒップホップとかメロウヒップホップみたいな ヌジャベス (Nujabes)さんだったりとかあの辺のメロウヒップホップみたいなのを聴きまくってて、そっちの中の自分というか、そういう作品を1枚にしたいなって当時は(1stアルバム)作ったんですけど。

1stを作り上げた時に、全く似たような感じの2ndアルバムを作ってみようと思って、当時動いてたバンドのメンバー達とプリプロとかして殆ど2ndっぽいのは出来てたんですけど、同じようなアルバムを2枚出すのに意味あるのかな?面白いのかな?って思っちゃって。
それで本チャンレコーディングしないで、なんか気持ち的に20代の頃のアンビエントの方に戻っていって(20代)当時の楽曲と新曲と織り交ぜた感じでアンビエントでブライアンイーノ(Brian Eno)とかみたいに1枚ちゃんとアンビエントアルバム出したいなって思って2ndはアンビエントにしたんですけ
その時に1stはメロウヒップホップやってたのに2ndはアンビエントだから「なんだコイツ?」みたいにちょっとあったかなって(笑)
時期早々だったというか、今40歳なんですけど今思うと音楽性をある程度は持続的に一色を見せていった方が意外とお客さんとかリスナーさんにも評判が良くなったんではないかとレーベルやってる側的にはちょっと…(笑)

今もしうちのレーベルと関わってる若いアーティストとかが2ndで全く違う事をやりたいって言ったら俺は反対するだろうなって思いますね(笑)

ははは(笑)
でも、2ndのアンビエントがあったからこそ次の3rdに繋がったのかな?って思ったんですが。

あーそうですね。あそこでアンビエントをやったから、その後の今っぽい感じの音っていうか その時ポスト・ダブステップ って言葉が凄く流行ってた時期でもあったので ジェイムス・ブレイク (JAMES BLAKE)さんとか出てきたりして ポスト・ダブステップ 的なものだったり、あとは チルウェイヴ とか今の音楽の流れに近いような2014年辺りからシーンに言葉とか音とか出てきてたなって思ってて、その時にぼくもそういった作品作りたいって思って。

アンビエントやってた自分だったり、メロウヒップホップ作ってた自分ともリンクしてるし ポスト・ダブステップ や チルウェイヴ みたいな流れも面白いなって思って自然にシフトしてった感じではありますね。

そうですよね。2ndから3rdアルバムまでの期間が短いというか、3rdアルバムの『Nostal-Asia 』を作るために2ndの 『AMBIENT I』があった様な感じがしました。 

それはちょっとありますね。

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プロが教える給付金制度「オンカク音楽家がお金に強くなる税理士チャンネル」

United Code

企業主や、個人事業者や、そうでない方も生活に支障が出ている今、様々な助成金・補助金・給付金に注目が集まっています。
当ENHANCE JPでも音楽家を対象とした助成金早見表を紹介したり、持続化給付金についての記事(『音楽家の持続化給付金』)を紹介しています。

現役税理士が確定申告方法や助成金・給付金申請を音楽家に特化した内容で伝える、音楽家の注目度が高いYouTubeチャンネル「オンカク音楽家がお金に強くなる税理士チャンネル」をご紹介します。

オンカク音楽家がお金に強くなる税理士チャンネル とは

税理士事務所「クリアー」を経営する栗原邦夫氏が、東京音楽大学のガムラン社会人講座を受講し、そこで知り合った音大生と共にオンカク (音大生・音楽家のための確定申告講座) を立ち上げました。 また、 演出性の高いセミナーや講演を認められ、オスカープロモーションに所属した経歴を持つ。

その 栗原邦夫氏による 「プレゼンテーション」「マーケティング」「マネジメント」など幅広いスキルも紹介。より身につき実践してもらうことを考え、<学びをエンターテイメント化>することにより、楽しく伝えることを信条としており、非常に分かりやすく丁寧に細かい中にも、難くなり過ぎない楽しくお伝えしています。

現在は新型コロナウイルスによる影響や、フリーランス含む個人事業主などへの給付金として5月1日より施行された「持続化給付金」の申請方法について主に配信しています。
さらに、Line@から直接質問や相談も受け付けています。


プログラム:確定申告について

オンカク( 音大生・音楽家のための確定申告講座 )の名前の由来通り確定申告方法を分かりやすくお伝えしています。フリーランスの音楽家の為の経費や収入、雑所得、副収入などについてなど約10分でまとめられております。


最近では、持続化給付金申請に対して確定申告の修正方法をお伝えしています。


【確定申告書で間違えたら修正申告書を作ろう 前編】10分でわかる音楽家のための確定申告 番外編】



プログラム:補助金(貸付金)、協力金について

事業者にとって何より考える事が運営だと思います。この状況で出来る事や、アフターコロナやウィズコロナに合わせた新事業、そして現状維持の為など。それには多くのお金と長い目でみた事業計画が必要となってきます。そんな事業者に対して政府及び地方自治体の補助金や協力金などがあります。そういったものの申請方法なども紹介しています。

音楽家も借りられる特別貸付について「新型コロナウイルス感染症特別貸付」



音楽教室も50万円もらえる「東京都感染拡大防止協力金」


プログラム:持続化給付金

今一番、音楽家の関心が高く申請手続きを行っている方も多いであろう新制度の「持続化給付金」
新制度ならではの、経済産業省も確定しきれていない内容も直接問い合わせを行い、また申請者の実例を共に進捗を更新・発信しています。
Line@を使い相談すべてに対応し、また申請者からの情報も同時に受けながら情報共有を行っています。

音楽家の「持続化給付金」最新情報05/08【申請入力画面完全ガイド最新版】


音楽家の「持続化給付金」最新情報04/29

音楽家の「持続化給付金」最新情報05/01

音楽家の「持続化給付金」最新情報05/03

音楽家の「持続化給付金」最新情報05/05

オンカク: 音楽家、指導者、フリーランスのための確定申告・税金ガイド

更にガイドブックも出しており、とにかく分かりやすいと大好評です。

「税金、よくわからな~い!!」という演奏家、指導者、作曲家、編曲家、ライター…音楽業界に携わるすべてのフリーランスとその卵に捧ぐ!
ガムランを学ぶ現役の音大聴講生、しかも元オスカープロモーション所属という異色の税理士が、音大を卒業したての主人公の相談にのるかたちで、税金と確定申告について解説。“音楽家によくある経費”の具体例を豊富にあげながら、帳簿のつけ方から確定申告書の書き方まで、基礎の基礎からわかりやすく指南する。音楽教室を営む人のためには「特別レッスン」を設け、さらに教室特有の経費についても触れる。
各レッスンの最後には、ビジネス感覚を身につけてもらうための「おせっかいビジネス講座」を設け、主人公にプロ意識が芽生えるまでの姿も描く。
(Amazonより引用)
オンカク: 音楽家、指導者、フリーランスのための確定申告・税金ガイド

音楽家に特化した税やお金に関わる情報、また確定申告など知るべき情報を分かりやすくので是非チェックしてみてください。また初めての申請など分からない事などもLine@で無料で相談可能で、どんな些細なことでも必ずご対応してくれるあたりも「音楽家の為」が伝わってきます。

<参考>
オンカク音楽家がお金に強くなる税理士チャンネル
Line
税理士法人クリアー


音楽家を守るプロジェクト#STAYMUSIC は『オンカク音楽家がお金に強くなる税理士チャンネル』からご賛同いただいてます。

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<Music&Business Vol.2>
キャリア初のSingle「Romeo」リリースの作編曲家
Red-T 

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ENHANCE JPが伝えたい情報の一つ、音楽への携わり方の多様化。

この「Music&Business」では音楽に関わる仕事、事業をされている人物へ突撃インタビューします。

音楽に携わった仕事がしたい方はもちろん、どんな仕事がしたいかはまだわからないけれど、音楽が大好きな方へ。

見えづらいだけで、たくさんの人、媒体、仕事が関わりあって成り立っている、進化している音楽事業を紹介することで、あなたと音楽の可能性を広げます。

 

2回目となる今回は、2008年にNEWSに楽曲提供した『Summer Time』で、オリコンチャート1位獲得を皮切りにサウンドクリエーターに転身し、多数の楽曲に携わる作編曲家 Red-Tさんに突撃。

作編曲家としてだけではなく、プロデュースや作詞、ミックスなど楽曲制作に関わることであればマルチに担当される方です。

今回キャリア初ご自身のとしての1st Single「Romeo」リリースに至るまでのお話や、今後のビジョンを聞かせていただきました。

 

シンプルかつ印象に残る物を

早速ですが、1st single『Romeo』リリースおめでとうございます!
このシングル『Romeo』、Red-Tさんからアピールポイントを教えていただけたらと。

ありがとうございます。
アピールポイント…そうですね、とにかくシンプルでわかりやすい曲を作りました。

ご自身のツイッターでもシンプルでキャッチー、爆音で聴いたら気持ち良さそうな曲だとおっしゃっていて、僕も聴かせていただきました。スッと入ってくるメロディーで耳に残りましたが、よく聴くとトラックの音使いが多彩だなと。パッと聴くとシンプルに聴こえるんですけども、こだわりが見えたような気が僕はしました。

ありがとうございます(笑)

制作にあたって意識した部分は?

そうですね、J-POP聴いていると音がいっぱい入っているなというのが僕の印象で。
USのHIP HOPとかR&Bが好きだっんで、音数少なくて印象に残るものを作るという所は意識しました。

なるほど。ご自身の好きなUShip-hop、R&Bの流れじゃないですけど。。

The Neptunes(ザ・ネプチューンズ)とかTimbaland(ティンバランド)っていうプロデューサー達が好きで、その人達の楽曲で2000年代はやっぱり音数少なくて印象的なものが多かったんです。やっぱりそこは自分的には出していきたい部分なのでそうなったのかなと。

それは今後(の制作)もっていう形なんでしょうか。

今後もそうですね、そういう、どんだけできるかやってみたいですね。シンプルで印象的なものを作っていきたいですね。

今回制作にあたって、作詞Rowさん、マスタリングエンジニアで塩田 浩さん、っていう形で制作にあたっていたと思うんですけども。お二人に依頼する流れや制作模様もお聞かせ願えればなと。

そうですね。作詞に関しては…Row君はBIG BANG THEORYというユニットで活動しいて、(Red-Tさんが)東京に来た24歳の時から親交があるんです。
シンガーで歌も上手くて作詞も凄くいいなと思っていて、今までも一緒に何曲か作っているので、今回もお願いしました。

Red-Tさんも作詞はしますよね?

でもあんまり得意じゃないんですよ(笑)

そうなんですか!?(笑)
そこは信頼できるRowさんにお任せしたんですね。
塩田さんの方は?

塩田さんの方は、最近hip-hopで有名な舐達磨とか、気になった音源を誰がマスタリングしてるのかなって調べた時に塩田さんの名前を見て。ツイッターやられてたのでメールしたのかな?連絡してみた形ですね。

なるほど。もともと知っていたわけではなくて、自分の好みのマスタリングをしてくれる方を探して連絡したんですね。

やっぱり、ミックスまでは自分でやると仮定していたんですけど、最後の音ってやっぱり不安じゃないですか。そこはやっぱりプロに任せたいなって。

そこで今自分が気になる舐達磨さんとか音源で気になっているエンジニア(塩田さん)さんにお願いしたって流れなんですね。

そうですね。

マスタリングしていただくにあたってやりとりなどどうでしたか?

すごくはっきり言ってくれるのでよかったですね。

制作はスムーズに進みましたか?

1回マスタリングしたんですけど、持っていった最終マスターの音が自分全部エフェクト外して持っていってて(笑)。印象が違ってもう一回やってもらいましたね(笑)

なるほど(笑)

それでしっかり終わりました(笑)

 

自ら発信していくのが今のスタイルなのかなって

ツイッターなど見させていただいていていて、Spotifyでのマーケティングを様々行なっているようですが、お話お聞かせ願えますか?

英語にしたから上がるとかはなくて。外国の方にも聴いて欲しいなと思っているんですけど。見れるじゃないですかTuneCore(アナリティクス)って。現状1、2回(海外からの視聴が)しかないんですよ。やっていきたいんですけどね。どうやってやればいいかなっていう。

どこでも聴けるがゆえに、フックアップされなければ埋もれてしまうというか。

フックアップされる方法というのがちょっと。。自分のFacebookの友達とかから行けるかなって思ったんですけど、やっぱりそんなに再生してくれないですね。

今はやっぱりサブスクなどにアップしていることを元にキュレーションしてもらうとか、海外などではユーチューブチャンネルじゃないですけど、サブミッションメディアがすごく発展しているので、そこにサブミッションするとか。日本でもキュレーターにサブミッションしていくみたいな動きをしていくのがいいのかなという話も聞きますね。

色々教えてもらいたいですし、やりたいですね。

マーケティングの話になっちゃいますね(笑)
ずっと作編曲家として活動してきて、今ご自身の名義での1st singleという形になるんですか?

そうですね、初めて出しましたね。

このタイミングで1st singleを出すに至った経緯をお聞きしたいです。

26歳から作曲という形で自分の名前は出ていたんですが、最近になってきてコンペにも引っかからなくなってきて。選ばれる(形式)ばっかりだったんで、選ばれなくなってくると、やっぱりなんのために音楽やってるかわからなくなってくるんです。自分でどんどん発信していくっていうのが正しいのかなと思って始めました。
ちょっと遅いんですけどね(笑)

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